幼稚園~高等学校では、デジタルの責任についての指導が重要性を増してきています。今後 10 年間でこの分野はどのような発展を遂げると思いますか?
オーストラリアのビクトリア州について言えば、デジタルの責任に関する指導には、今後 10 年間で発展すると思われる重要な領域がいくつかあります。たとえば、責任を持って安全かつ倫理的にデジタルの責任を果たすことを指導するのは、幼稚園~高等学校の教育の一環として非常に重要なことです。生徒がデジタル テクノロジーを使って学習する機会はますます増えていますが、そこには、安全な方法で責任を持って使用するという責任が伴います。自分の行動、あるいは不適切な行為によってもたらされる結果にも責任を持つ必要があります。
この領域ではまだまだやるべきことが多くありますが、デジタルの責任が、多様なバックグラウンドを持つ学習者たちをつなげ、文化や社会などの包括的な理解を促すために発展を遂げていることは確かです。また、環境、男女平等、美徳、価値といった事柄や、地域奉仕と人助けの概念をテクノロジーによって実践する方法についての理解も深まることでしょう。
今後 10 年間で、「アクセス」がデジタルの責任の重要な事項になると予想しています。これは、経済社会上のステータス、性別、能力に関係なくあらゆる学習者がデジタル テクノロジーにアクセスできるような、デジタルの包括的な責任を意味します。
発展途上国でも、今後 10 年間でこの分野は発展を遂げると予想しています。つまり、社会的な進歩から取り残されて教育を受けられない子供や若者をサポートする役目を果たすようになります。同じ教育(紛争地帯の子供たちがテクノロジーを使って国外や自国の幼稚園~高等学校の教育を修了できるようすること)あるいは現実の問題に直結する特定の科目(人道主義の背景や発展途上国の背景にある問題と関連性の高い平和教育、精神面および社会面でのサポート、水と衛生など)の学習を通じて、テクノロジーにアクセスするうえでの障壁が軽減されると考えています。
学校でデジタルの責任について効果的に指導するには、どうすればよいと思いますか?また、効果的でない指導とはどのようなものでしょうか?
デジタルの責任を指導する効果的な方法は、デジタルの責任の効果的な実践方法を教師が認識し、これに関するトレーニングを受けることです。これには、デジタル テクノロジーを倫理的に使用し、責任を持って安全に活用する方法も含まれます。不適切な行為によってもたらされる結果も認識する必要があります。
私は、デジタルの責任の効果的な実践は、包括的であるべきだと強く信じています。つまり、子供や若者の人種、性別、性的指向、経済社会上のステータスによってデジタル テクノロジーへのアクセスが制限されるべきではありません。また、デジタルの責任に関する指導では、可能であれば価値や美徳の学習をカリキュラム自体に盛り込むか、カリキュラムを実施する方法に取り入れるべきだと思います。倫理、ライフスキル、親切な行為の実践、平和教育を授業に組み込んでもよいでしょう。さらに、テクノロジーが地域奉仕と人助けに役立つのであればテクノロジーの教科でもこうした指導を行います。まずデジタル市民権について指導し、次にデジタルの責任について指導することで、生徒は他者を思いやれるようになり、他者に対する自分の責任とより良いコミュニティを作る方法を理解できるようになります。
デジタル市民権とは何か、一言で説明してください。
テクノロジーを倫理的に活用して、グローバル市民としての互いにつながるためのもの。